天下分け目の大戦といえば、関ケ原の合戦ですね。
徳川家康率いる東軍が勝利し、石田光成率いる西軍を破りました。
この戦で徳川家康は事実上の天下を取ったわけです。
東軍の勝因よりも、西軍の敗因のほうがわかりやすいのですが、
敗因は小早川秀秋の裏切りによるものでした。
ですが、小早川秀秋が裏切っていなけれれば…??
石田方のとった陣形は鶴が羽を広げたように配置する「鶴翼の陣」
家康の側近はその陣形を見て、「殿の負けでござる」と言い、明治18年、日本陸軍大学の教官として招かれたドイツのケレメンス・メッケル少佐は図上でその布陣を見て、即座に「石田方、西軍の勝ち」と言ったそうだ。
まさしく石田光成は必勝の陣形だった。
だが、勝ったのは・・・・・徳川家康率いる東軍。
策だけでは勝てないのですね。
そんな決戦の地はとても静かで清々しい土地でした。
決戦地から、石田方の陣地へ歩いてみます。
光成よりも優れているもの2つ。
佐和山の城と島左近。
徳川方をして「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と恐れさせたことが『常山紀談』に記されていて、合戦で戦死したとなっているが、合戦後に京都で左近を目撃したと称する者が相次ぎ、様々な説から生存説がある。
そして、石田三成の本陣。
小山を登ったら関ケ原を見渡せる陣跡があります。
大谷吉継の陣跡(墓所)へ
彼と石田三成との友情は厚く、義に殉じた武将。
小早川秀秋の離反により西軍は総崩れを起こします。
見晴らしの良い先の山に、小早川秀秋の陣地があります。
決戦地を見配れる離れたところに家康の陣跡。
「影武者徳川家康」という作品で、開戦直後に家康が暗殺されます。
「桃配山にてみまかられました」と伝令に扮した暗殺者が本多忠勝に言うシーンがあります。
天下を分けた地の今は、とても静かで穏やかでした。
近くのレストランで昼食。
湯の山温泉、アクアイグニスでほっこり。
良い旅でした。