棟方 志功 – わだばゴッホになる

投稿していこうと思っていた個人的に好きな芸術家記事。

これからコツコツと書いていこうと思います。

とりあえず、棟方志功をば。

自伝「板極道」はその道を目指す人なら読むべしです。

 

『この道より我を生かす道なし、この道をゆく(武者小路実篤)』

 

棟方志功の座右の銘だ。

絵が好きだった棟方は、仕事が終わると毎日公園で写生をし、描き終わると風景に対して合掌したといいます。

18歳の時、友人宅で文芸誌『白樺』の挿し絵に使われていたゴッホの『ひまわり』と出会うことから棟方のゴッホへの憧れが始まります。

 

ヒマワリの生命力と存在感に圧倒された。
その美しい黄色に心を奪われた。

 

一心に描く棟方。 だが、当時の画壇では師匠について
年功序列・・・みたいな風習がありました。今もそう変わらないかもしれませんが。

それに対し棟方は思った。

「師匠についたら、師匠以上のものを作れぬ。
ゴッホも我流だった。師匠には絶対つくわけにはいかない!」

 

彼は新しい道を模索し始めた。当時の画壇で名声の頂点にあった安井曽太郎、梅原龍三郎でさえ、油絵では西洋人の弟子に過ぎなかったことから、この頃の気持を自伝にこう書いている。

 

「日本から生まれた仕事がしたい。わたくしは、わたくしで始まる世界を持ちたいものだと、生意気に考えました」

 

そして、とうとう棟方は気付く。

「日本にはゴッホが高く評価し、賛美を惜しまなかった木版画があるではないか!葛飾北斎、安藤広重など、江戸の世から日本は板画の国。板画でなくてはどうにもならない、板画でなくてはわいてこない、あふれてこない命が確実に存在するはずだ!」

*ゴッホは実際、北斎など日本の浮世絵にかなりの影響を受けている。
*浮世絵は刷りモノなので木版(色の数だけ必要)で原画は表現されている。

 

 

棟方志功の作品はどれも力強く、その風貌と重なる豪快な作品が多い。
その熱さ、私は大好きです。

ちなみに、棟方志功の墓は敬愛するゴッホと同じデザイン。
没年は永遠の命を表す「∞(無限大)」が刻まれている。

 

最後に彼が板画について残した言葉は、

「愛シテモ、アイシキレナイ。驚イテモ、オドロキキレナイ。
歓ンデモ、ヨロコビキレナイ。悲シンデモ、カナシミキレナイ。
ソレガ板画デス。」

 

素敵です。

You may also like

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です