Abdul Mati Klarwein

カバーアート界の巨匠であり、デザイン界の異端児 Abdul Mati Klarwein。

その描写力や色彩とともに、呪術的でプリミティヴなモチーフをご乱行させた図像は、まさに圧倒的な存在です。

 

有名な作品では、マイルス・デイビスの「Bitches Brew」やサンタナの「天の守護神」。
ジャケ買いすること必須ですが、音楽も超名盤。

「Bitches Brew」の演奏メンバーなんて、凄まじ過ぎます。

マイルス・デイヴィス – トランペット
ウェイン・ショーター – ソプラノ・サックス
ベニー・モウピン – バスクラリネット
ジョン・マクラフリン – エレクトリックギター
ジョー・ザヴィヌル – エレクトリックピアノ(左チャンネル)
チック・コリア – エレクトリックピアノ(右チャンネル)
デイヴ・ホランド – アコースティックベース
ハーヴェイ・ブルックス – エレクトリックベース
レニー・ホワイト – ドラム(左チャンネル)
ジャック・ディジョネット – ドラム(右チャンネル)
ジム・ライリー – パーカッション

さらに、ビリー・コブハムもボーナストラックで参加…

 

下はサンタナの「天の守護神」。
とにかく、エネルギーがすごいです。

 

Abdul Mati Klarweinの画集は出回っているのが少なく、手に入れるのが難しいものが多いです。
今年にやっと稀少本である画集「Milk’n Honey」を手に入れました。

いつか実物が観たい。いや、観に行こう。

 

ヴァイマル共和国ハンブルク生まれ。父親はポーランド出身のユダヤ人の建築家、ヨーゼフ・クラーワイン(Joseph Klarwein)。母親のエルザはオペラ歌手だった。1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーが首相に就任。続いて3月23日にヒトラーは全権委任法を制定し、ヴァイマル共和国は崩壊。ナチスの台頭を恐れたクラーワイン一家はマティが2歳のときにイギリス委任統治領パレスチナに逃れた。
1948年5月14日にイスラエルが建国されると、母とクラーワインはパリに旅立った。1949年から1951年にかけてフェルナン・レジェに学び、エコール・デ・ボザールとアカデミー・ジュリアンに通った。
1950年代後半、アラビア語で「召使い」を意味する「Abdul」を自らの名前に付けた。1965年、フランス国籍を取得。
1970年、2つのレコードに作品が起用されたことでクラーワインの名は広く一般に知れ渡った。ひとつは3月30日に発売されたマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』[5]の見開きジャケット(ゲートフォールド)。もうひとつは9月に発売されたサンタナの『天の守護神』のジャケットである。ただし後者は既製の作品で、1961年制作の『受胎告知(Annunciation)』が表のジャケット一面と裏のジャケット半面に使用された[8]。その後、多くのミュージシャンのレコードに関わることとなった。
2002年3月7日、スペインのマヨルカ島デイアの自宅でがんのため死去。69歳没。

*wikipediaより引用

You may also like

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です